パキシルの怖さ!副作用のシャンビリ!

こんばんわ。

 

早速ですが、タイトル通りのパキシルの副作用のお話です。

前にも書かせていただいたのですが、私は前までパキシルOD錠の12.5㎎を2錠飲んでいました。

でも、精神科の予約日に体調を崩してしまい、予約の日に病院に行けませんでした。

私が通院している精神科は仕事を休ませてもらわないと受診できないので予約日に行けないと、次行くのもすごく先になってしまうので、その時も先の予約はすぐに取らずに余っていたパキシルでしのいでいました。

でも、1週間ぐらい経つとパキシルは切れてしまい、切れてから2日、3日経ったくらいから吐気と脂汗、動悸、体のだるさ、そして眼球を動かすとシャンという変な感覚がありました。

眼球を動かすたびにシャンという感覚が何なのか気になり、ネットで 「眼球 動かす 変な音」みたいな感じで色々調べていたらこれがシャンビリのシャンの方だということを初めて知りました。シャンビリという副作用は聞いたことはありましたが、これがどういうものなのかがはっきりわからなかったので、これがシャンビリか!となんかしっくりきてしまいました。

 

でもパキシルを急にやめるとここまでしんどくなると知らず、とりあえずパキシルを飲まないとと思い近くの精神科に電話してすぐに受診しました。

その時の症状を先生に話すとそれはパキシルの副作用であるということを教えていただきました。

でも急に同じ量を飲むと副作用が出るからと前の半分の量を処方されました。

そのパキシルを飲みだしてから1週間ほどで副作用は消えてきました。

この経験をしてパキシルの怖さを身をもって知りました。これをきっかけにパキシルはほぼ毎日忘れず飲むようになりました。

そこから私は主治医の先生にパキシルを減らしていきたいという希望を伝え少しずつ減らしていっている途中です。

 

パキシルはいいお薬ですが、急に辞めると副作用が強いお薬なので上手に使って治療に役立てればいいですよね。

人のことを信じれない

こんにちは。

ほんと人って何考えてるかわからない。

理解できないことが多い。わたしだけですかね?(-_-;)

学生の時は学生の時で人間関係大変ですよね。でも社会人になってもまたそれはそれでまたしんどい人間関係、、、。職場によるんでしょうけどね。

でもほんと私の今の職場はいい人もいるんですがある程度信用してる人に嘘とかつかれて、めっちゃ信用してたっていう人じゃなかったけど嘘をついたりだましたりすることはしないと思っていたのでそんな人に嘘をつかれて騙されていたと知ったとき正直すごくショックだったのと逆にすごく腹が立ちました。

でもその方は上司なので何も言えないという。

 

そう思うと人ってほんとこわい。裏で何言ってるかわからない。表面上だけいい顔して。

だから私は人が嫌い。こんなことがあると人なんて信用なんかできない。

 

こういうことがあると家に帰ってつらくて腹立たしくて悔しくて泣いてしまいます。

 

もしちょっとでも興味もってこの記事を読んでくれている方、もし一人で悩んでたりしたら一人じゃないってことをこの記事を見て思ってくれたらうれしいです。

 

人生で人間関係ってずっとつきまとうし大変。 

何年か前に私が人間関係で悩んでいてつらいときテレビで細木数子だったかな?が人間関係ほど難しいことはない。って言っててその時ちょっと心が楽になったのを覚えています。

みんなにとっても人間関係は難しいことなんだ。わたしだけじゃないと思えただけでも心が軽くなりました。

なので自分だけとか思わず同じような人は意外に多いってことを知ってほしい!

自分の狭い生活範囲の世界だけに目を向けるんじゃなくてもっと広く世界を見てくれたらうれしいな!

 

あと、その時はその嫌なことだけにしか目が行ってなくてつらいつらいになってしまうけど時間が経つと客観的に見れたりするし。時間を置くっていうのもめっちゃ大事よね!

 

 

 

強迫性障害の不安定な今日

 こんばんは。

今日は今の自分の状況を書きたいと思います。

今は何とか仕事をして一人暮らしをしています。でも最近精神的に不安定になります。鬱っぽいというか...。趣味でスポーツをやろうと思い道具を買った瞬間はうれしいというかテンションも上がってるんですがしばらくするとその趣味を初めて何になるんやろう...どうせいつか死ぬのに、そのスポーツをしてうまくなったところで何になるんだろうとすごく沈みます。かと思えば明るい音楽を聴いてテンション高くなったり、でもしばらくしたらまた沈んで辛くなって家で一人で泣いてしまったり。

 

皆さんも思われることかもしれないんですが、何のために生きてるんだろうと思うことがよくあります。毎日働いて怒られて不安になりながら仕事して。

毎日不安です。夜涙が止まらなくなって辛くて、でもふとLINEの連絡先を開いても連絡してくれるような友達はいませんでした。電話したとしても多分繋がらないだろうし。

そう思うと余計に辛くなるしで悪循環ですよね(-_-;)

 

強迫性障害の症状もカギの確認など症状も出てきたり。生活できる範囲なんですけどその中で悪くなったりましになったり。

 

私はつらいとき、気分が沈んでいるときはネットで自分の気持ちを検索ワードに打って検索しています。検索して自分と同じような人がいるんだということを感じて自分の心を落ち着かせたり、安心させたりしています。そんなことしてるから夜寝るのが遅くなってしまってるんですけどね(^^;

 

もっと楽に生きれたら、もっと自由に生きれたらいいのにね。

 

 

 

強迫性障害と向き合う入院生活、認知行動療法

 ベッドが空いたと連絡が入り、入院の準備をしていきました。いざ入院となるとすごく不安になりました。当日受付を済ませ入院する病棟へ上がり病棟の看護師さんや臨床心理士さん、主治医となる先生と面談がありました。

私が病棟に入った時間はちょうどお昼頃で面談が終わった後すぐに病棟の食堂?的なところ、ご飯を食べるところで病院のご飯を食べました。

 そのあと一緒に来ていた母親は帰るため、私は駅まで見送りに行き自分の病室に帰ってからは特にやることもなくゆっくり過ごしました。

 ちなみに私が入院したところは閉鎖病棟だったので外出するときは外出届を記入しないと出れませんでいた。なので外に出る時はちょっと面倒でした。

 

入院して1ヶ月程度は毎日先生と面談をしてどんな症状があるかを話したりしました。

あと薬を色々試してみて自分に合う薬を先生との面談で探していきました。

1ヶ月程たつと周りの環境にも慣れてきました。むしろ家にいる時より安心感があるくらいでした。

 

ちなみに強迫性障害は新しい環境になると一時的に症状が治まるという特徴があるため私もその通りで入院してからしばらくは強迫の症状はあまり出てきませんでした。

先生に症状が落ち着いているという話をしたらそう言われました。

 

入院して1ヶ月程はこんな感じで入院生活を送りました。

 

次の回で、2ヶ月目のお話をさせていただきたいと思います。

 

 

 

 

私の心の中の謎の悪魔との闘い。私は強迫性障害なんだ...5

仕事を退職した後、私は親に言われ強迫性障害を専門的に治療している病院を探すことにしました。できれば入院して集中的に治したいと思いました。でないと仕事もできない生活もまともにできないと思いました。

ネットで調べて良さそうなところがあれば行ってみるの繰り返しをしていましたが、やっぱり精神科のクリニックに行っても最初少し話を聞いてあとは薬を処方されるだけでした。

仕事を辞めてから、実家に戻ったのですがそのあと鬱っぽくなり毎日のように涙が止まらなくて、毎日声を出して子供みたいに泣いていました。「近所迷惑だから辞めて」と親に怒られるけど、つらくなって涙が止まらない期間が続きました。

その時精神科でもらった薬はあったものの、良い精神科は見つかってなかったので中途半端に薬を飲みたくなかったし、できれば薬は飲まずに治療したかったので意地になって飲んでいませんでした。

しかし、2ヶ月程毎日のように泣いている日々が続いていて、親にも「そんなにしんどいなら薬飲んで、限界」と言われ仕方なく飲むことになりました。薬を飲んでから数日したぐらいから涙が出ることがなくなってきていました。その時薬のすごさを実感しました。こんなことならもっと早く飲んでおけば良かったとも思いました。何よりしんどいのは自分自身なので、、、💦

 

そんな中ネットで精神科を調べていると福岡にある九州大学病院強迫性障害に特化しているということが書いてありました。九州は遠かったけどこれで良くなるならと、予約をとり九州まで受診に行きました。

受診をして入院を希望していることを伝えました。すると入院は2ヶ月待ちと言われました。

すると先生は関西にも強迫を専門にしている病院があるということを教えてもらいました。兵庫と京都にあるとのことでした。

私の住んでるところからは兵庫の病院のほうが近かったのでそっちに行くことになりました。その病院が兵庫医科大学病院です。すぐに電話をして受診の予約を取りました。

そして受診日、症状を説明をして入院したいということを伝えました。するとこちらも入院は1ヶ月待ちということでした。ベッドが空き次第連絡が来るとのことでした。

入院の予約を取り薬はパキシルを処方され2週間後の外来の予約をして帰りました。

 

そして1ヶ月程した頃病院から電話がありました。ベッドが空いたので入院日をいつにするかの電話でした。そして電話があった1週間後くらいに入院することになりました。

 

 

 

私の心の中の謎の悪魔との闘い。私は強迫性障害なんだ...4

 高校を卒業した後、私は県外の専門学校に進学することになりました。専門学校ではレポートなどの宿題が多く、元もと症状にあった文字を何回も消して何も思わないようにうまく書けるまでやり直すという症状が出ました。他にも症状はたくさんありましたが、私が進学した専門学校の分野はレポートが多く何回も書き直すという症状と何度も思っていないことが頭に浮かぶという症状は一番つらかったです。

 

なのでレポートを書くのにも人よりも時間がかかってしまい、他の人に迷惑をかけてしまったり、睡眠時間が削られてしまったりしました。なので書くことがすごく怖くて辛かったです。誰にも分ってもらえないという孤独感も辛かったです。

 

専門学校の間は何度も辞めたいと思いました。でも奨学金を借りていたこともあり辞めたら一括で返済という契約で辞めたくても辞めれなく本当につらくて仕方なかったです。辛くて何度も泣きました。卒業するまで泣きながら通っていた感じです。

 

卒業した後は就職しました。そこでも新しい環境で覚えることが多いことや新しい人間関係というストレス、新人なので仕事は遅いのに強迫のせいでさらに遅くなるというかんじでした。毎日怒られることも多く、仕事も早くしないといけないとは思うものの、そう思えば思うほど強迫の症状が邪魔をして仕事ができないという状態でした。

 

何度か辛くてしんどくて休んだこともありました。入社して時間が立つにつれて任されることの責任も重くなり、同時に強迫の症状も悪くなっていきました。家に帰って寝ようとしても頭の中に悪い考えが浮かび、手を洗わないと不安で仕方なくて手を洗ってベッドに横になるけどまたすぐ悪い言葉が頭に浮かんでくるから手を洗っての繰り返しで中々寝れず毎日寝るのが夜中の4時頃で2,3時間しか寝れず仕事に行っていました。

 

そんな生活が続き私は9ヶ月程した頃に適応障害と診断され仕事に行けなくなり、休暇をもらいしばらくお休みさせていただくことになりました。合計3ヶ月お休みさせていただきました。症状はましにはなっていたけど、また仕事に戻れば、強迫の症状も悪化すると思い上司と話をしてそのまま仕事には復帰せず退職させてもらいました。

 

 

                                 つづく・・・

 

 

 

私の心の中の謎の悪魔との闘い。私は強迫性障害なんだ...3

高校に入学して高校生になり、ほぼ新しい人間関係の中で人間関係を築いていきました。でも、私は人見知りで人間関係も最初は微妙な時期もありました。

親との関係も微妙なままでした。強迫性障害の症状も変わらず悪いままでした。

 

強迫の症状は自分の頭の中に悪い言葉や悪いイメージが浮かぶ度に手を洗わないと汚れている感じがして何も触れなくなったり、頭に浮かんだ悪い言葉を頭の中で否定しないといけないというルールが自分の中でありました。否定しないともしほんとに何かあったらと思うと不安で仕方なくなるからです。

それでも手を洗ってもすぐ頭の中には悪いイメージが浮かぶし、頭で否定してもすぐ悪い言葉は浮かんできます。それの繰り返しなのでほんとにひどくなると、言葉に出して悪いイメージを否定したりすることもありました。周りにわからないようにやっていました。でももし誰かに聞こえていたとしたら変な人なんだろうなと思います。自分でも自分が怖かったです。自分の思考がコントロールできてない感じで・・・。

 

そんな日々が続いていた高2のある日、自分と同じような人はいないのかと疑問になりケータイで自分の症状を打って検索してみました。すると自分の症状と同じようなことが書かれている病気が出てきました。それが強迫性障害でした。

この時私は初めてこれが病気なんだということを知りました。本当にうれしかったです。原因が分かったことが。ずっと一人で悩んで苦しかった原因が分かったから、本当にうれしかったというか、安心したというか・・・。

 

でも、まだその時親にも周りにも言わなかったです。言う勇気もなかったので。

 

高校時代は自分の症状の原因がわかり、少し気分が楽になったのが大きかったです。

かといってその時は原因が分かっただけで精神科に行ったわけではなかったので症状的にはしんどいままでした。

なので高校生の間も生活には支障はきたしながら生活していました。